2021/08/25 12:24
昭和43年(1968年)3月 洋裁学校の卒業式 ばあば23歳
写真最前列の左から5人目がばあば。化学薬品会社でお勤めしていたばあばは会社帰り、結婚するまでの5年間 洋裁学校に通いました。普通課3年修了し師範課へ、2年ほど先生として教壇にも立ったそうです。
洋裁学校に通うきっかけは、昔は既製品が無い時代だったので、仕立て屋さんにオーダーして出来上がってくるのに1年ぐらいかかり、子供の頃からそれが嫌で、絶対自分で洋服を作れるようになろうと決めていたそうです。
学校に入ってからはデザイナーになりたいと思ったそうですが、デッサンが苦手だったため断念、パタンナーという仕事があると知りさらに興味を持ったそうです。製図して仕立てる洋裁師、ばあばはスカート、ブラウス、ワンピース、ズボンからコートまで何でも作れます。既製品は体に合わないので今でも普段着はほぼ自分で作ったもの。
OLしならがオーダーを受け副業していたので、とても忙しかったようです。縫賃は茶道、華道、お琴などの御月謝、登山やスキーなど交遊費、嫁入り道具などの結婚費用のため貯金したそうです。
ばあばをいびっていた義母、結婚してすぐに作ってあげたズボンを亡くなるまでずっと着ていたそうです。ばあばのことは嫌っていたけど、作ってあげたズボンはたいそう気に入っていた、よほど着心地が良かったんですね。
洋裁学校に通うきっかけは、昔は既製品が無い時代だったので、仕立て屋さんにオーダーして出来上がってくるのに1年ぐらいかかり、子供の頃からそれが嫌で、絶対自分で洋服を作れるようになろうと決めていたそうです。
学校に入ってからはデザイナーになりたいと思ったそうですが、デッサンが苦手だったため断念、パタンナーという仕事があると知りさらに興味を持ったそうです。製図して仕立てる洋裁師、ばあばはスカート、ブラウス、ワンピース、ズボンからコートまで何でも作れます。既製品は体に合わないので今でも普段着はほぼ自分で作ったもの。
OLしならがオーダーを受け副業していたので、とても忙しかったようです。縫賃は茶道、華道、お琴などの御月謝、登山やスキーなど交遊費、嫁入り道具などの結婚費用のため貯金したそうです。
ばあばをいびっていた義母、結婚してすぐに作ってあげたズボンを亡くなるまでずっと着ていたそうです。ばあばのことは嫌っていたけど、作ってあげたズボンはたいそう気に入っていた、よほど着心地が良かったんですね。
いまはもう老眼で洋裁はあまりできなくなったばあば。
私が子供の頃、服地店や手芸店でばあばが仕入れするのをじーーーーーっと待っていました。いまも布地やボタンなど大量にあります。
私が子供の頃、服地店や手芸店でばあばが仕入れするのをじーーーーーっと待っていました。いまも布地やボタンなど大量にあります。
↑ 新婚旅行用に作った、黄色のレースのワンピース。
↑ 最近、押入れから出てきたワンピース。ローウエストでミニ丈の70年代ツイッギー風(?)、カワイイので形見にもらいました。布ループボタン、裏地、とても丁寧に仕立ててあります。24歳ごろ作ったもの。